歴史だより

東洋と西洋の歴史についてのエッセイ

《2019年度 わが家の稲作日誌》

2019-12-22 18:54:20 | 稲作
《2019年度 わが家の稲作日誌》




執筆項目は次のようになる。


・【はじめに】
・【きぬむすめという品種】
・【父のひととなり】
・【刈払機(草刈機)に対する父のこだわり】
・【平成29年産米 稲作行事日程(父のメモより)】
・【2019年の稲作行程・日程】
・【中干しの意義】
・【反省と課題】
・【むすび】







【はじめに】


平成から令和に移った2019年という年は、私自身にとっても、我が家の歴史にとっても、大きな転機の年であった。とりわけ、元号が変わった5月は、すべてのものが転換した。というのは、私がこの5月に還暦を迎えた日のちょうど1週間後に、父親が86歳の生涯を閉じてしまったからである。
これにより相続の問題が発生し、農地経営も父から子へ引き継がれることとなった。父が2018年1月に入院するまで、私は農業に全く関心がなく、父に任せきりであった。去年から稲作にかかわることを余儀なくされ、少しずつ農業に従事し始めることになった。
そこで今回の記事は、2019年度の稲作の行程を振り返り、それを記し、退職後農業を始めてみようと考えている人や、新たに米作りに興味をもった若者に、何らかの示唆を与え、お役に立ててもらえれば、幸いである。




【きぬむすめという品種】


きぬむすめは、日本のイネの品種名である。キヌヒカリの後代品種となることを願って、「キヌヒカリの娘」という意味で命名されたようだ。
2006年3月7日、九州沖縄農業研究センターが育成した新品種である。交配系譜としては、きぬむすめ(水稲農林410号)は、愛知92号(後の「祭り晴」)とキヌヒカリを交配させたものである。
コシヒカリ(水稲農林100号)並みの良食味と、作りやすい優れた栽培適性をもっているのが特徴である。コシヒカリより1週間程度晩生である。

我が家では以前コシヒカリを作っていたが、近年はきぬむすめに変えた。コシヒカリは、米の粘りが強く、食味に優れる品種で、確かにおいしいお米である。ただ、栽培上は倒伏しやすい、いもち病などに弱いなどの欠点も併せ持つ。

ところで、2019年9月19日、天皇陛下は、皇居・生物学研究所脇の水田にて、代替わり後初の稲刈りをされた。皇居での稲作は、昭和天皇が始め、上皇さまから陛下へと受け継がれた恒例行事である。陛下も2020年2月には還暦を迎えられる。
皇居での稲刈りのイネの品種は、うるち米のニホンマサリと、もち米のマンゲツモチである。ニホンマサリは、聞きなれない品種だが、コチカゼと日本晴をかけあわせた品種で、昭和48年(1973)に農林省農事試験場(現・農研機構作物研究所)で誕生したという。
一方、マンゲツモチは、一般に流通している品種で、昭和38年(1963年)に誕生した。茨城のオリジナル品種で、天皇陛下が、皇居内の水田で御手植えされたことで有名な高級品種のもち米である。米粒が丸く、粘りが強く、冷めても美味しいお米である。




【父のひととなり】


父の経歴を簡単に振り返ると、昭和26年に、農林水産省の食糧事務所に入り、42年間の長きにわたり、国家公務員として、働いた。国家公務員として、世のため、人のために、勤めを果たし、退職後も、自治会長、市の農業委員として、身を粉にして、挺身し尽力してきたのが、父の実直な人生であったように思う。

さて、父が仕事をする上での特技は何であったかと、私なりに考えてみた。すなわち、父を父たらしめていたものは何かについて、思いをめぐらしてみた。それは、字を書くことが好きで、しかも達筆であったことではないかと思う。

「書は人なり」とか「書は人となりを表す」とはよく言われる。書く字体には、その人の人柄が現われる。父の字は、几帳面で端正な字であった。長い役人生活のためか、楷書や行書で書くことが多かった。普段、急いでメモをとるときなどは、実に流麗な草書をスラスラと書いていた。その字は中国の唐代の孫過庭の「書譜」さながらの草書体であった。
楷書、行書、草書を必要に応じて自由に書き分け、父が仕事をしてきたのが、父の手帳をみるとよくわかる。手帳の字に、父の人生の縮図のようなものが反映されている。その人を思い出し、偲ぶよすがとして、手帳ほど、父を物語るものはないように思う。父の形見としての手帳を見て、父を偲ぶ。

1年5カ月にわたる闘病生活は、本人にとっては、辛く苦しいものであった。それまで入院生活などしたことがなかった父だけで、なおさらである。病魔に苦しめられた父の姿は、はたで見るのも辛いほどであった。とりわけ、いたわしかったのは、数々の仕事をこなしてきた大切な右手が、不自由になったことであった。抗がん剤を半年以上も服用していると、その副作用から末梢神経障害があらわれて、手足のしびれが生じてきた。父が自分の手をじっと見つめながら、「もう、この手は使い物にならなくなってしまった」と自嘲気味につぶやいた時、その顔には無念さが浮んでいた。
亡くなる3日前まで、ベッドから起き上がって、手帳を開いて、メモをとっているような父であった。本当に字を書くことが好きな人であった。その手帳の字はもう昔のような端正な字ではなかった。まだ父が病気をする前の、健康であった時の手帳には、退職してから、農業の日程などを記している。手帳をみて、父を偲んでいる。

※【父の使っていた手帳】


※≪父の使っていた手帳≫
※≪2018年 在りし日の父の姿≫
※≪父の叙勲の賞状≫



【刈払機(草刈機)に対する父のこだわり】


刈払機(草刈機)は背負い式で、U字ハンドルがよいと父は信じていた。
刈払機には、肩掛け式か背負い式か、またハンドルはU字ハンドルかループハンドルを選ぶかという問題がある。背負い式は、エンジン部分を背負って作業ができるので、体への負担が少なく、長時間の作業が可能になる。また、U字ハンドルは平地の草刈りには適しているが、田んぼの畦などの草刈りには、ループハンドルの方がよいと父は言っていた。4月20日に、古い刈払機のギア部分が故障して、新しい刈払機を購入する際にも、父のアドバイスに従って、やはり背負い式でループハンドルのものに決めた。
ある造園業者のコメントがインターネットに載っていた。それによれば、肩掛け式のメリットは、刈り方が一方方向に限られているため、刈り残しが少ない事と、刃先が足元より離れるため、足を切る事が少ないそうだ。デメリットはエンジンを刃先の間にシャフトがあるために、どうしても小回りが利かない事、それと左肩で刈払機をバンドにて支えているから、どうしても左肩が痛くなってしまう事を挙げている。
一方、背負い式は、フレキシブルにより刈り場が自由に決められ、小回りが利く事がメリットである。しかし刃先が自由だから、場合によって足を切る危険があるともいう。
肩掛け式は、主に平地や緩やかな斜面で、背負い式は主に山林で植林の間の草刈りに適しているという。

わが家の田んぼは、畦の斜面があるので、やはりループハンドルの刈払機が適していると実感している。

※≪わが家の田んぼの畦 草刈り前と後≫






≪背負い式で、U字ハンドルの刈払機(草刈機)≫
 






共立 背負式 エンジン刈払機 RME3000LT [28.1cc]





【平成29年産米 稲作行事日程(父のメモより)】



平成29年産米 稲作行事日程(参考)
年月日 行事(作業)
H29.4.19 畦草終了(畦の前側と上部のみでよい)
H29.5.10 畦水留処理(ナイロン袋に土を詰め水留めする)
H29.5.12 水田注水開始
H29.5.19 中耕終了(水洩れなくなる)
H29.5.22 代掻き終了 (ヒエ防除薬)
H29.5.25 田植終了(昼食共にする~寿司)
H29.6.22 水抜開始(上、下の田) 中干し
H29.7.15 水掛開始(上、下の田)
H29.8.1 水抜開始(上、下の田) 中干し
H29.8.4 NKC-12(穂肥追肥) JA津田にて購入
H29.8.19 水掛開始
H29.8.27 水抜開始
H29.9.1 水落開始(稲刈に備える)
H29.10.9 機械進入路等草刈り
H29.10.10 稲刈り~前日に四隅を刈ること




【2019年の稲作行程・日程】


・2019年3月5日(火) 晴 15℃
  春耕作の依頼に伺う
・2019年4月20日(土) 晴 17℃
  おじさんと草刈り 古い刈払機故障
・2019年4月27日(土) 晴 14℃
  おじさんと草刈り再び 新しい刈払機にて
・2019年4月28日(日) 晴 15℃
  畦塗り終了
 畦の草の根元を削ぎ落しておく
・2019年5月 7日(火) 晴 18℃
  水溜め開始 
  土嚢に土を入れ、水路に石と土嚢を置いて、水を溜め始める 
  ※下の田の水溜めに特に注意すること。溜めすぎに気を付けること
  ※田んぼの隣りで畑を作っている人によれば道にヌートリアが穴をあけていたとのこと。
  5月15日(水)に、この話をきいて、その後、私も草刈りをしようと出かけると、道端から脱兎の如く駆け出す小動物を見た。一目散に逃げた後、一瞬立ち止まり、こちらを向き、視線を交わしてしまった! 意外と愛嬌のある顔だ。そして、何事もなかったかのように、再び川の方へ消えてしまった。あれがヌートリアだった。
 
(注)ヌートリア(nutria)とはネズミ目ヌートリア科の小型哺乳類、別名は沼狸(しょうり、ぬまたぬき)。体つきはビーバーに、尾はネズミに似ている。体長は50センチぐらいで、水辺に生息し、岸に穴を掘って生活する。泳ぎが上手で、おもに水生植物を食べる。南アメリカ原産であるが、毛皮獣として各地で飼育される。日本では第二次世界大戦前に軍用毛皮獣として輸入されたものが野生化し、ときに農作物に被害を及ぼす。
(1939年にフランスから150頭が輸入され、当時は軍隊の「勝利」にかけて沼狸(しょうり)と呼ばれ、1944年頃には全国で4万頭が飼育されていたという。いやはや、「サモトラケのニケ」なら「勝利の女神」となりうるが、“水辺のニケ”の沼狸(しょうり、ヌートリア)は、農家にとって迷惑な存在でもある。)



・2019年5月24日(金) 晴 27℃
  依頼者により、田植え終了
・2019年 6月 5日(水) 晴 29℃
  草刈り(9:00~10:00)
・2019年 6月 9日(日) 晴 22℃
四隅の田植え補植(14:00~15:40)
※上の田の水路入り口は、沼のように足がはまってしまい、苦戦
・2019年6月25日(火) 晴 30℃
  水抜き開始  
・2019年7月20日(土) 曇 30℃
  水掛け開始
・2019年 8月 3日(土) 晴 35℃
  水抜き開始(10:00)
  草刈り(15:00~16:00)
・2019年 8月10日(土) 晴 34℃
  まだ穂は出ていない。上の田はヒエが例年通り生えて伸びてくる
・2019年 8月20日(火) 小雨25℃
  水掛け開始
※あとの8月いっぱいは水を溜めておくように、アドバイスを受ける
・2019年 8月31日(土) 晴 29℃
  草刈り、水抜き開始(15:00~17:00)
・2019年 9月13日(金) 晴 28℃
  草刈り(14:30~16:00)
・2019年 9月29日(日) 晴 28℃
  草刈り~畦とコンバインの進入路(8:30~11:00) 
  12:30 依頼者より明日稲刈りを午後から予定しているとの電話あり(台風接近のため早めるとのこと)
・2019年 9月30日(月) 小雨のち曇 27℃
  田の四隅を鎌で稲刈り(8:50~10:00)
  コンバインで稲刈りをしてもらう(13:00~14:40)




【2019年の稲作行程の写真】


≪草刈り前の写真(4月20日)≫≪草刈り後の写真(4月27日)≫
≪畦塗り終了後の写真(5月7日)≫≪田植え終了後の写真(5月26日)≫
≪四隅の補植の前後の写真(6月9日)≫≪出穂前の写真(8月10日)≫
≪出穂後の写真(8月31日)≫≪実った稲穂の写真(9月13日)≫
≪畦の草刈り後の写真(9月29日)≫≪四隅の稲刈りの写真(9月30日)≫≪コンバインの稲刈りの写真(9月30日)≫









【中干しの意義】


夏の暑い盛りに田んぼの水を抜いて、ヒビが入るまで乾かすのが中干しである。中干しには、次のような目的・効果があるとされる。
・土中に酸素を補給して根腐れを防ぎ、根の活力を高める。根が強く張る。
・土中の有毒ガス(硫化水素、メタンガスなど)を抜くことが出来る。
・水を落すことによって肥料分であるチッソの吸収を抑え、過剰分けつを抑制する。
・土を干して固くし、刈り取りなどの作業性を高める。

1株20本程度の茎数が確保されたら、中干しを実施する。これにより、それ以上の分けつを抑えるようだ。夏の土用の時期に干す場合が多いので、土用干しという場合もある。
ただし、中干しも、やりすぎは禁物。土に大きなヒビが入ると根が切れたり、土の保水性が悪くなる。この後の登熟期の水不足の原因となる。

ところで、収穫を増やすには、出穂から登熟までの期間に晴天が続き、光合成量が大きくなることが大切である。
出穂後に晴れて暑い日が続くと、おいしいお米が出来るといわれる。人間にとっては、厳しい暑さも、稲にとっては恵みである。



【反省と課題】





【水管理について】



植木鉢の草花を育ててみて、花の咲く時期は非常に水をほしがることでもわかるように、イネも幼穂形成期からは水を切らさないことが大切である。
特別、田干しを強くしなくても、イネが大きく育つと土中の水を非常に多く吸い上げる。根に活力があれば田の土は自然と乾いてくる。
穂肥と水管理で刈取るまで活力のある根を守り育てることが、確実に増収に結びつく道になる。
(高島忠行『イネの作業便利帳――よくある失敗120』農山漁村文化協会、1988年[1994年版]、92頁)

田植えは天気のよい日を選ぶのが基本である。予定の日が寒かったり、雨が降り風が吹いたりしていれば、田植えはしない方がよい。というのは、悪い条件の日に植えると欠株が多くなるし、活着が悪くなるからである。
雨が降っていてまず問題なのは、苗箱が水を含んで重くなることで、田植え機にのせられているうちに、その重さでマットがつまり、一回のかき取り量で多くなってしまうそうだ。それで1株当たりの植え付け本数がぐんとふえてしまうという。
理想的な植え方は、不完全葉が八分くらいかくれるように、だいたい 1.5センチの深さで、1株が3~4本植えになるように調節するのがよいそうだ(高島忠行『イネの作業便利帳――よくある失敗120』農山漁村文化協会、1988年[1994年版]、66頁~69頁)。



<胴割れ米の発生しやすい条件>


過乾燥米は、胴割れ米になりやすく、精米のとき砕米になり歩留りが悪くなる。コメに粘りがなく、味が悪いので最も嫌われる。
過乾燥や胴割れ米をださない工夫が必要である。それでは、どのような場合に胴割れ米が出やすいのだろうか。
・温度が高く、湿度が低い乾いた風を多く送るほど早く乾燥するが、一方では胴割れ米も多く発生しやすい。
・一般に早生の品種は胴割れしやすいものが多い。
・刈り遅れたモミ、立毛中に胴割れの多いモミ、モミ割れの多いモミ、刈取りのときに傷を多く受けたモミは、玄米の胴割れが多い。
・倒伏したイネや、乾燥機のタンクにモミが少ない場合は、胴割れ米が発生しやすい。
・また、乾燥と調整の際に、次のような点に注意することも大切であるそうだ。すなわち、
早生種の刈取り期である8月下旬から9月上旬は、暑い日が多いが、空気中の湿度も高いので、モミの乾きが遅い。そして、9月下旬から10月に入ると、気温は低いが湿度も低いので乾燥時間が短く早く仕上がる。
(高島忠行『イネの作業便利帳――よくある失敗120』農山漁村文化協会、1988年[1994年版]、124頁~126頁)

その他に、調べてみると、次のような発生要因も考えられるようだ。
・出穂後10日間の気温が高いほど、発生が多くなる。デンプン蓄積の異常により、割れやすくなると考えられている。
・早期落水、刈り遅れによる籾含水率の過度の低下により発生しやすい。
・登熟期に葉色が淡いほど、発生が多くなる。出穂期以降の葉色と玄米タンパク含有率には密接な関係がある。玄米タンパク含有率が低い米が、登熟初期の高温条件による胴割れ発生がより多くなる傾向にある。
・浅い作土条件でも、籾含水率の過度の低下により発生する。ほ場の作土深は登熟後期の籾含水率の低下速度に密接に関連している。つまり、浅い場合には含水率の低下が早く胴割れが生じやすくなる。
・高水分籾の高温乾燥により発生する。

以上のように、胴割れ米は出穂以後の高温で発生が助長される。完熟した米粒は硬く、米粒内部に圧力の不均衡が生じ、急激な膨張・収縮に耐えきれず、亀裂が発生し、胴割れ米となるというのである。



【先祖伝来の美田】


私は令和元年5月に、先祖伝来の田んぼを引き継ぐことになった。高谷氏は、「先祖伝来の美田」と題して、示唆的なことを記している。
日本人は主に盆地に集住して水稲を作り、水利社会を生み出した。と同時に、先祖伝来の美田を生んだ。
その水田は、畑と違って生き物のようなもので、常に面倒を見ていないと駄目になる。例えば、井堰や水路の管理を怠ると、たちまち田には水が入らなくなり、水田としての価値が激減する。
また、田は毎年作っていなければならない。たとえ、2、3年でも耕作を中断すると、たちまちひどい漏水田になることもあるそうだ。水田には連年耕作の結果、鋤床ができていて、これが漏水を防いでいるようだが、2、3年も放置しておくと雑草の根がそれを壊してしまうからであるという。
水田とは、間断なく手をかけていて始めて理想の状態を保ちうると高谷氏は主張している。
間断なき手入れは、日本の水田の場合は、何世代にもわたって行われてきた。だから、先祖伝来の美田は、ご先祖の汗の滲み込んだ土地であり、自分もまた手に汗して次の世代に伝えねばならない家伝の財産であるともいう。
盆地に集住する日本の稲作農民というのは、単に地縁的に組織された村の一員というだけではなく、過去から未来に永続してゆく伝統と財産の管理者、いいかえれば歴史に責任を負うべき家系の一員でもあるという(高谷好一『コメをどう捉えるのか』日本放送出版協会、1990年。208頁~209頁)。

このように、祖先伝来の美田について説かれている以上、私も容易に米作りを放棄するわけにはゆかず、体力の続く限り、田の維持に努めるように決意した次第である。



【コメをどう捉えるのか】


高谷好一氏は、人類史、稲の文化史について、次のような展望を記している。人類史は今後、個人史、より正確にいえば風土史の方向に向かうと推測している。その時、照葉樹林帯の盆地は一つの風土を作るという。そして、その風土を生かすも殺すも、それはひとえにコメの捉え方ひとつにかかっているとみる。高谷氏はコメを捉える時、それを稲の文化史として捉える。

「私は本日現在の日本の稲作社会のそのままでよいと思っている。2、30アールを持つ兼業農家が、普段は工場に働きに出、時には車でスーパー・マーケットに買物に行く、それでよいのだと考えている。たとえ2、30アールであっても、先祖への感謝の気持ちでそれを耕し続けるかぎり、それで充分なのである。またたとえ2、30アールであったとしても、そうして耕し続ける限り、自分の家系は安泰なのだと、彼らが確信している、そのこと自体が大事なのである。
 日本のような盆地社会がその風土に密着して、生きてゆくための最低ギリギリのところで何が必要なのかと問われたら、私は水田景観そのものと、先祖伝来の美田への執着だと答えたい。この二つを残している限り、盆地利用の名匠として生きうる可能性はまだ絶たれていない。」(高谷好一『コメをどう捉えるのか』日本放送出版協会、1990年。224頁)

この高谷氏の持論は、私のように農業に関わろうとする者に、勇気と希望を与えてくれる言葉である。2、30アールの耕作地しかない兼業農家でもよいと肯定し、次のことが大切であるとする。
1 先祖への感謝の気持ちで耕作し続けること
2 先祖伝来の美田への執着
そして、経済合理性のみを追求され、コメの自由化が起こった場合、下手すると、この最後の二つを消失してしまうのではないかと高谷氏は危惧している。高い賃金や便利な生活などに沿ったシステムが成立した時、今までのような踏んばりが利くかどうか疑問視している。岐路に立っている日本は、二つの分れ道があるという。
  1 資本主義の最後のチャンピオンになり、日本の過去のすべてを放棄して、その代わり贅沢に向かう
2 新しい「風土の時代」を率先して伐り開いて行くのか 
2は世界史的な大仕事だが、それほど難しい仕事である。私たちの先祖が培ってきた文化を再認識し、それを延長するだけでよいとする(高谷好一『コメをどう捉えるのか』日本放送出版協会、1990年、224頁~225頁)。


日本の稲作は典型的な灌漑移植稲作である。照葉樹林帯の谷間に人々は共同で井堰をつくり、先祖伝来の美田に若苗を植えてゆく。それは安定した高収量をもたらす。また稲作にともなう共同作業は、地域社会は技術的にも社会的にも一つの完成した極相点をなす。
こうした極相に達した稲作経営が、日本では江戸時代から今日にいたるまで、ずっと続けられてきた。
何といっても、日本稲作の最大の特徴は、水利慣行を軸に地縁的にきわめて強固な組織を持った灌漑稲作である(高谷好一『コメをどう捉えるのか』日本放送出版協会、1990年、146頁)。
日本の水田灌漑は江戸期に拡充した井堰灌漑で支えられているといわれる。日本に井堰灌漑が多いのは、日本には井堰灌漑にちょうど適した中小の河川が多いからである。
このことは外国の様子と比較するとよくわかるそうだ。たとえば、インドには、山が少ないから川も少ない。しかもインドの川の多くは、乾燥が厳しいから、枯れ川である。雨季の豪雨時には一気にどっと洪水が流れるが、こういう水は井堰に向かない(高谷好一『コメをどう捉えるのか』日本放送出版協会、1990年、200頁)



【むすび】



もともと、慶応3年(1867)に生まれたひいおじいさんが、この町に住みついて、四代目の私が稲作を引き継ぐことになった。今回、司法書士さんに依頼して、宅地・田畑・山林の不動産の名義変更を終えてみて、尚更、田畑経営もしっかりしなくてはとの義務感が湧いてきた。

ところで、私の住む町には、田和山遺跡という有名な遺跡がある。それは、弥生時代前期末から中期(紀元前3世紀~紀元前1世紀初め)にかけての遺跡である。弥生時代は、稲作が日本で本格的に始まった時代である。弥生文化は、田んぼでの米作りが基礎になっている農耕文化である。田和山遺跡は約300年間続いた遺跡だが、その終わりは加茂岩倉遺跡や荒神谷遺跡に大量の青銅器が埋められたのと同じくらいの時期であるとされる。
実は、稲作している私の田は、その遺跡から約1キロ余り南へ下ったところにある。その田を撮った写真には、私の田んぼの向こうに見える小高い山のすぐ北に田和山遺跡がある。

東アジアの風土と稲作の歴史は深く関わりあっている。
稲作の起源地は、中国雲南省あたりか、揚子江の中流から下流の地域が想定されている。稲という植物がアジアの日本の気候によくあっていたのである。つまり稲というのは、気温が高く雨が多い、水が豊かなアジアの中の日本の気候・風土によく適合し、多い収穫が得られた。現在では、お米1粒が1万粒になるともいわれる。

日本の歴史と稲作は切り離せない関係がある。はるか悠久の日本の歴史の中に位置づけられうる田圃を後世まで大事にしてゆきたい。

農業は昔からお天気次第といわれる。風や雲、空の様子から天気がどうなるかを諺として言い伝えて、農作業に利用されてきた。農業にまつわる諺は、長年の経験から得た知恵袋である。
観天望気(かんてんぼうき)とは、自然現象や生物の行動の様子から天気の変化を予測することである。
「夕焼けに鎌を研げ」というのがある。日本の上空には、偏西風という風が西から東に吹いているので、天気もふつう西から東へ移動する。西の空が明るい夕焼けは、明日の晴れを保証するようなもの。つまり、「夕焼けの次の日は晴れ」というわけである。だから、鎌を研いで、草刈りや稲刈りの準備せよ、準備が肝心という意味だそうだ。
また、「ナスの豊作はイネの豊作」とも言われるようだ。ナスはインド原産。暑いと生育が良く、逆に寒いと生育が悪くなる。また、ナスの花が咲く頃に雨が多くなると、花が落ちてしまい、実がつかない。イネもまた熱帯・亜熱帯の方がよく育つ。ナスがよく育って豊作になる時は、イネも豊作になることが多いそうだ。

その他に調べてみると次のようなものもある。
例えば
「夏の夕焼、田の落水也」
「田の草取り七へんすれば、肥いらず」
「稲作は、一水に二肥」
「米作り、飯になるまで水加減」などと言われる。
とりわけ、「米作り、飯になるまで水加減」とはよく言ったもので、父の年間稲作日程表の一番難しいのは水の管理であった。

近年、農業従事者の高齢化と、若者の著しい農業離れによって、様々な問題が生じてきている。伝承も廃れてきているともいわれる。





高谷好一『コメをどう捉えるのか』 (NHKブックス)はこちらから
≪参考文献≫
高島忠行『イネの作業便利帳――よくある失敗120』農山漁村文化協会、1988年[1994年版]
高谷好一『コメをどう捉えるのか』日本放送出版協会、1990年




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